田辺寄席、演題「怪説」  

   2012年1月

       演芸ライター・上田文世

 

●第592回  一月二十一日(土)昼席

《じっくりたっぷりの会ー笑福亭仁嬌の段》

開口0番(文太の前ばなし)

      「ル」の巻/「瑠璃乃壺誉早駈」

一、動物園          笑福亭呂竹(呂鶴門下)

 箕面にも動物園がありました。案内看板には「日本一の箕面動物園。広さ三万坪、珍しき動物無数」とあり、右から左読みの字で「ゾウ」「ライオン」「ラクダ」などに「鹿」「白サギ」「アナグマ」の表示も出ていました。

二、正月丁稚    笑福亭仁嬌(仁嬌一門)

 旧暦でいけば、この二十三日が元日。今は元日からスーパーが開いているし、この噺のように「げん」を担ぐ人も少なくなりましたが、げんは「縁起が良い」の「エンギ」をひっくり返した「ギエン」が語源だそうです。

三、軒付け    桂文太(五代目文枝門下)

 ウナギは素焼きにして山椒をたっぷり、そして醤油をかける。炊きたてのご飯に熱々の茶をぶっかけ、あられを散らしフーフーしながら食べる。これがウナギの茶漬け。ウナギは天然物をと本に出ていました。うまそう。

 

     〈仲入り〉

 

四、天狗裁き 笑福亭鶴二(六代目松鶴門下)

 「近年撃剣修行のため鞍馬山に籠もり、天狗の妙術を得るなどとの空説を信用し、日夜籠もりおる者あるのは不都合に付き、参籠を禁止する」という記事が、明治21年3月8日の朝日新聞に出ています。ホンマです。

五、首提灯     笑福亭仁嬌(仁嬌一門)

 ヒルと同じ仲間の生物である「プラナリア」は、再生力が非常に強いそうです。体を何等分かに切断しても、頭部を失った者は頭部を、尾と頭を失っても2週間ほどで元通りになるそうです。これもホンマです。

 

●第593回 一月二十一日夜席

《じっくりたっぷりの会ー桂 小春團治の段》

開口0番(文太の前ばなし)

         「レ」の巻/「歴代文枝」

一、寄合酒    桂 治門(小春団治門下)

 人集まれば酒を飲みたがるのは世界共通。イギリスでは酔態を動物に例える。猿酔い=酔うと跳んだりはねたり奇声をあげたりする▽獅子酔い=物を壊したり、喧嘩をふっっかけたりする。その他の酔態はまたの機会に。

二、旅する小説家 桂 小春團治(小春團治一門)

 「旅する」と称して「旅しない」人がいるそうですが『三陸海岸大津波』や『船艦武蔵』などの故吉村昭氏は、徹底した取材を元に執筆する小説家。そのために各地を旅し、その地の小料理屋で旨い物も楽しんだそうです。

三、八五郎出世 桂 文太(五代目文枝門下)

 姉が中国・漢の武帝の寵姫。その縁で召し出されたのが衛青。それまでは羊飼いをしていました。八五郎と違って馬・弓は名人級。大将軍となって匈奴と戦い武勲を立てます。

『史記』に載る「衛青出世物語」です。

 

     〈仲入り〉

 

四、胴取り     桂 福車(福団治門下)

 武士にはいわゆる「切り捨て御免」の特権が、確かにありました。でも、そんなことをしたら武士も取り調べを受けて、正当性を立証しなければならなかったようです。こんなこと、別に知る必要のない知識ですがね…

五、親子茶屋 桂 小春團治(小春團治一門)

 放蕩息子が浪費したお金は106億円。さすが製紙会社の御曹司。紙を使うのには慣れています。親子揃って浪費していたら、どんな巨額になっていたか。親旦那が息子の浪費を戒める、その気持ち、よ〜く分かります。

 

●第594回 一月二十二日昼席

《じっくりたっぷりの会ー桂 九雀の段》

開口0番(文太の前ばなし)

         「ロ」の巻/「ロバのパン」

一、色事根問    桂 雀太(雀三郎門下)

 女性にもてる第一条件は「見え・身なり」。そこへ「赤を着よう」も付け加えよう。米国の大学などで実験したところ、赤、または緑のシャツを着た男性の写真を女性に見せると、赤シャツ男性への評価が高かったそうだ。

二、厩火事   桂 九雀(二代目枝雀門下)

 男の頭は男の髪結いが引き受け、女の髪は女が束(つか)ねるのが習いのはずが、娘の散髪床が出来て大繁盛と、明治31年の朝日新聞に出ています。この噺の髪結いの亭主も、妻にもらったお金でここに通っていた?

三、初天神   桂 文太(五代目文枝門下)

 初日の出、初荷と今月の暦には「初」の字の付く日がたくさんあります。18日が初観音21日が初大師、24日が初地蔵、そして25日が「初天神」であります。初不動という日もありまして、これは28日です。

 

     〈仲入り〉

 

四、強情灸      桂 米左(米朝門下)

 灸で99歳どころか、194歳まで長生きしたとの記録が、江戸時代の書物にあります。三河国水泉村の百姓満平で、毎月1日から8日間、左右の足の三里に灸をすえる。幕府の慶賀で召され、白髪を献上したそうな。

五、胴乱の幸助 桂 九雀(二代目枝雀門下)

 明治10年、京阪間に汽車が開通。その動力源が石炭で「五平太」とも言いました。筑豊炭田の石炭積出港だった北九州・若松には火野葦平作詞の「五平太ばやし」の歌があり、7月の夏祭りで盛大に披露されるそうです。