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「旭堂小南陵」氏の提訴に思う(その3) 〜前代未聞の「南陵襲名」劇〜 「何ともはや、情けない事が上方芸能の世界に起こったものです」。03年4月9日、「小南陵」氏が大阪地裁に関西演芸協会と弟弟子全員を提訴した時に書いた文の書き出しです。[旭堂小南陵氏の提訴に思う。(その1)寄合酒317・03・5]あれから3年と4ヶ月、今また、同じ書き出しの文を書くことになるとは…。 最近、「小南陵」氏から、多くの噺家さん達に「平成十八年八月十八日をもちまして、四代目旭堂南陵を襲名させて頂くことと相成りました。」の挨拶状が届けられました(故三代目旭堂南陵先生の長女の浅井美知子さんと親族一同の挨拶状も印刷されていました)。 9月2日(土)、3日(日)天王寺区生國魂神社で行われた「第十六回彦八まつり」では数多くの噺家、そして落語ファンの方から、「南陵襲名」について質問された。私が03年5月と05年11月の2回に亘って『「小南陵」氏の提訴に思う』を「寄合酒」紙上に書いたことを知っておられるからだろうと思う。「まだ南陵先生が亡くなられて1年しかたっていないのに、何故襲名をそんなに急ぐのか」「こんな挨拶状を一方的に送られてきても、どう対応していいのか分からない」という人が多かった。又、「その後、「提訴」はどうなっているのか」と聞く人も多かった。「小南陵」氏の提訴その後と「南陵」襲名について私の思いを書いてみたいと思います。
「小南陵」氏の提訴とは?
「小南陵」氏が提訴した4件の内「関西演芸協会」とは既に和解したが、 @上方講談協会が「小南陵」氏に会員としてふさわしくない行為があったので「小南陵」氏を同会から除名した旨が記載されている書面を関係者に送付した事が名誉毀損にあたると主張して、弟弟子六人全員に対して各自慰謝料50万円を求めた事案。 A (イ) 旭堂南鱗師が平成15年1月9日、堀川戎神社の控え室において、笑福亭仁福氏その場に居合わせた出演者らに対し「小南陵」氏が芸団協関西協議会で使い込みをし、除名されたと吹聴した。 (ロ) 旭堂南海さんが同年4月28日、「東西交流講談会」会場において、神田陽之助さんに対し、同様の吹聴をした。その為に「小南陵」氏の名誉が毀損されたと主張して、それぞれ損害金50万円の支払いを求めた事案。 それらの判決が05年9月30日にあった。
「小南陵」氏の「提訴」についての判決は?
@ については「本件除名通知の公表は公益を図る目的で事実を伝えたものであり、不法行為責任が発生すると評価出来ない。「小南陵」氏の請求はいづれも理由がないので棄却する。(判決文P18、19) A (イ) については「20人弱、15畳ほどの大きさの控え室内において笑福亭仁福氏に対し、「小南陵」氏が除名されたなどとして評価を低下させる事実を述べた。もっとも南鱗師の行為は控え室内各所で話をしている状況の下、これらの者が聞こうと思えば聞こえる程度でされたにすぎない。各所に回って述べるなど、ことさらに吹聴したものではない。安易にこの種の話を申し伝えた仁福氏にも責なしとはいえないが、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると、南鱗師の行為による損害額としては5万円とするのが相当である。(判決文P13、14) (ロ) については「南海さんの行為に不法行為が成立するとする「小南陵」氏の主張は採用することができない。南海さんに対する請求は理由がないので棄却する。(判決文P13、14)
損害額400万円だという、「小南陵」氏の請求に対して、80分の1の5万円の支払いを認めたという判決である。 「訴訟費用」については @については「小南陵」氏が全額(10/10)支払え(判決文P1) A (イ) については「小南陵」氏が(9/10)南鱗師が(1/10)支払え(判決文P1) (ロ) については「小南陵」氏が全額(10/10)を支払え(判決文P1)。80分の79が「小南陵」氏が支払う額である。
「小南陵」氏の提訴3件の内、2件の請求は棄却され、残り1件も勝訴といっても以上のような実態でしかなかった。しかし翌日(10月1日)の新聞報道は在阪11社の内1社のみが「小南陵さんの請求一部認められる」だったが、他の10社は全て「小南陵さん勝訴」「小南陵さんへの名誉毀損認める」だった。
南陵先生四十九日法要の席で「小南陵」氏の「四代目南陵襲名」を公表
その判決から3日後の10月3日(月)、南陵先生の四十九日法要が行われた。その席で遺族を通じて「小南陵」氏の「四代目南陵襲名」が告げられた。 『門弟の全てが実の父以上に慕い、亡き師匠の存在の大きさを今さらながらに感じ、茫然自失になっていた、正にその時、「四代目南陵襲名」を遺族にはたらきかけていたとは…。私はその事を聞いた時、余りのことに漫才の大木こだま・ひびきのこだま師ではないが、思わず「そんな奴はおらんやろ!」と叫んでしまった』(寄合酒379、P15) 田辺寄席では「南陵先生への思い」を形にして残しておきたいと考え、「三代目南陵先生追悼特集」を作成した。短い期間の「無理で無茶なお願い」だったが各界の45名の方が追悼文を送って下さった。その作成のため奔走していた時だっただけに、いくらなんでもそんな時期に自身の「襲名の事」を考え、動いている者がいたことに衝撃と共に、情けなさで一杯になったものだ。
二つの裁判は「小南陵」氏の敗訴確定! 残る一つは現在も裁判続行中!
南陵一門の弟弟子6人全員を訴えるという上方芸能界に衝撃を与えた、前代未聞の提訴の結果は3件の内2件は「小南陵」氏が完全敗訴した。南鱗師への提訴も実態を見るならば、勝ったなどとは、とても言えるものではなかったが、報道は「小南陵さん勝訴」一色だった。もし控訴すれば改めて「敗訴」の実態が明らかになることを恐れたのか、「小南陵」氏は控訴しなかった(できなかった)ので、2つの裁判の完全敗訴は確定した。 南鱗師は「多くの人がいる中で話し吹聴したと言いながら、仁福氏以外誰一人聞いた人がいないというのに、仁福氏の言い分だけで5万円を支払えというのは全く納得出来ない。例え5千円でも5円でも私の名誉のためにも当然控訴します」と語っていた。その裁判は今も続き判決は06年10月3日に追って来ている。唯一の証人である仁福氏は証人としての出席を当日になって拒否してきた。 『小南陵氏は二つの裁判で敗訴と確定した今、不毛な裁判を起こし天下に「上方講談」の汚名を晒したことに対して率直に謝罪すべきではないのか、南鱗師の事もそのような態度から出発しない限り、益々つらい状況になっていくのではないか。 弟弟子全員とのこんな争いをしている状況では「四代目南陵襲名」などお笑い草だ。もしきちんとみんなが納得出来る謝罪もせずに小南陵氏の既定路線どおり「四代目南陵襲名」を強行するようなことがあれば、それは誠につらいことだが「南陵の終焉」を意味するだけだと思う』(寄合酒379、P15)
「四代目南陵」襲名を正式に発表
そして、それから11ヶ月たった、06年8月8日(火)産経新聞(朝刊)に『小南陵さん「旭堂南陵襲名へ」』が掲載された。その日の夕刊で読売新聞が後追いし、朝日新聞も8行のみ掲載した。毎日新聞他は翌朝8月9日に掲載した。『三代目南陵さんの命日の翌日にあたる18日付け。来年春に襲名披露公演を予定している』という内容であった。「とうとうやってきたか」というのが率直な思いだった。
上方講談協会の声明 前略 この度、旭堂小南陵氏が四代目南陵を襲名すると発表しましたが、当協会は一切関知していないことを御通知致します。四代目襲名は、三代目南陵の遺族と小南陵氏との話合いのみで決められました。 小南陵氏は平成15年3月に当協会より除名処分を受けております。この処分は、裁判「平成15年(ワ)第3234号地位確認等請求事件で」正式に認められているものです。 二代目が創設し、三代目が守り続けてきた上方講談協会を私たち協会員は微力ではありますが、発展させていく所存であります。今後とも皆様方の御支援を給わりますよう、何卒お願い申し上げます。 草々
上方講談協会
(会長 旭堂南左衛門他会員一同) 2006年8月9日
私はこの「声明」を見た時、正直言ってがっかりした。「当協会は一切関知していないことを御通知致します」って何を言ってるのか、自分達の最も敬愛する大事な師匠の名跡、上方講談の大名跡を襲名するというのに他の門弟は一切知らされていないとはどういうことなのか。そんな「襲名」があっていいのか、という事を何故言わないのか。そういう態度だから「小南陵」氏をここまで増長させてきたのではないのか、と思った。 しかし「芸人の世界」は私達部外者では計り知れないものがあり、師匠の遺族には、一切何も言えず、この「声明」で精一杯なんだろうか、とも思った。それだけに「小南陵」氏以外の他の「三代目南陵門弟」にこんなにもつらく情けない思いをさせるとは遺族の対応について考えざるを得なくなってきた。
OBC ニュースワンダーランドで「小南陵」氏「南陵襲名」を大いに語る」(8月23日)
8月20日(日)田辺寄席に「特別出演」して下さった、里見まさとさんの番組に「小南陵」氏は「南陵襲名」後初めて出演した。 「南陵襲名」の日が決まったのは今年正月明けだという。「小南陵」氏は「小南陵襲名30周年」の再来年ぐらいと思っていたが、お嬢さん(といっても「小南陵」氏と同じ56才、結婚はしていないと「小南陵」氏は番組で語っていた)が早くした方がいいと言い、その時に「命日の翌日、8月18日にて襲名と決めた」と語っていた。 今年の正月明けに「小南陵」氏とお嬢さんで8月18日襲名と決めたという。それから7ヶ月、他の門弟には一切語らず、8月7日の一周忌法要の席で「8月18日から四代目南陵を襲名させる」と一言言われただけであったと言う。門弟にとって何より大事な問題をこのような形で決めていいものだろうか、と私は思う。他の一門でこんな理不尽なことが許されるのだろうか、とも思う。
遺族の方に問いたい
現在「小南陵」氏と他の門弟(弟弟子)6人全員は裁判で争っている。「小南陵」氏が提訴したものです。その内2件は「小南陵」氏の敗訴が確定し1件は裁判中です。そういう中で、一方の側(「小南陵」氏に)全面的に肩入れすることが、遺族として、南陵先生の遺志を継いでいると考えているのでしょうか。せめて「小南陵」氏が提訴した裁判が終了するまでは待つべきではないでしょうか。遺族は「三代目南陵一門」が少しでもまとまる方向に行くように、公正な立場でその役割を果たすべきではないでしょうか。遺族が「小南陵」氏以外の全ての門弟を全く無視し、「南陵襲名」を「小南陵」氏に強行させるならば、「三代目南陵一門」の決定的な亀裂と崩壊を導くだけです。それは私が以前に書いた「南陵の終焉」にならざるを得ないでしょう。 「小南陵」氏でもまだ時期が早いと思っていた8月18日襲名を何故進言したのか、その理由も聞きたいものです。このような大名跡を襲名させる側が記者会見も開かず、みんなの前で一言も語らないというのも不可思議です。 最後に、「小南陵」氏は8月8日発行で「番町皿屋敷」を出しました(図書刊行会)。表紙から裏表紙、奥付けまで「四代目旭堂南陵」の名前のオンパレード。「南陵先生」の命日の8月17日を「南陵襲名」の意義づけに最大限に利用しておきながら、自分の本には、その日を無視して「四代目旭堂南陵」を肩書きに入れるとは、余りにも御都合主義だと思いますが、いかがでしょうか。 田辺寄席世話人会 大久保 敏 |